11月23日は新嘗祭(にいなめのまつり)でした。宮中では天皇陛下が新穀を天神地祇に奉り自らも食す祭が営まれます。収穫感謝祭です。この時季、京都を中心に社寺で(かつては民間でも)御火焚(おひたき)が行なわれ初冬の風物詩になっております。
そのルーツが判らないでいたのですが、先日、佛教大学の八木透先生と会食した時に、宮中の新嘗祭の神事で行なわれていたカミ迎えの庭燎(にわび)ではないかとのご教授を賜りました。文献の上からも、私の知識(乏しいですが・・・)の消去法からも、納得です。詳しくは八木透『京のまつりと祈り』昭和堂をご覧ください。
画像は佛教大学所蔵の「十二月あそひ」
https://bird.bukkyo-u.ac.jp/collections/…
近世の風俗を描いたもので、十一月(旧暦)の項目に、町家の前に小さな神輿を据え、様々な供物を奉って、老若男女が楽しむ様子が描かれています。
そこに「うちより民の家々まて、庭火をたきて神をいさむ事もゆへなきにハあらず」とございます。「うち」は「宮中」を指すと思われます。
こちらに描かれた小さな神輿は産土のカミを乗せるものではなく、もう少し抽象化された感謝する対象としてのカミを迎えるための祭壇だと思います。
以下、宮中祭祀は実際に見聞したものではないので耳学問ですが・・・
宮中の新嘗祭の前日には日本神話の天岩戸開きの場面を彷彿とさせるような鎮魂祭(たまふりのまつり)が営まれます。御火焚の火のルーツはこの鎮魂祭の庭燎がもしれません。
日本の祭にける「火」の役割は、多くの場合は「カミ迎え」か「カミ送り」(希に火を奉ることもあるかとは思います)。祭を彩る提灯もルーツは庭燎。
宮中の祭事と民間の祭事はお互いに影響を及ぼし合っています。宮中の新嘗祭も、それ以前に、民間における収穫感謝祭が前提になっているはずです。御火焚は、それが、また違ったカタチで民間に戻ってきた興味深い事例です。
因みに鎮魂祭、新嘗祭、の次の日には豊明節会(とよあかりのせちえ)がございます。これは公儀の宴会で、ハレの精神状態から日常の精神状態(ケ)へと戻るための解斎の儀式です。