6月1日(土)は岸和田にて開催の「彫物ひねもす博覧会」で彫師の河合申仁さんと写真家の平田雅路さんとご一緒させていただきます。

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今回の私の役割は「彫物ひねもす博覧会」の主役である太鼓台と地車の両方を、少しだけ学術的な立場から繋ぐこと。
 
「ひね博」の詳細はこちら → https://kishiwada1.wixsite.com/kishiwada-awaji/forum/

 
今回の「ひねもす」という言葉には「一日だけだけれども一日中」という意味が込められております。


切り口は以下の三つです。

(1)太鼓台のルーツは神輿の触れ太鼓。

(2)地車のルーツは江戸時代の豪華絢爛の川御座船(かわござぶね)。

(3)淡路の太鼓台は「だんじり」と呼ばれます。岸和田の地車も「だんじり」。姿も来歴もまったく異なる両者がなぜ同じ「だんじり」と呼ばれるのか。

(3)の謎を解く鍵は、太鼓台と地車が持っていた、地域によっては今も残っている、共通する役割の中にありました。当日の講演では、先行研究の成果を援用しながら、太鼓台と地車のルーツ、そして、「だんじりの語源」に迫って、より淡路と岸和田との距離を縮めることができればと思っています。

嘉永三年(1850)の『皇都午睡』には、大坂の太鼓台の担ぎ歌として「近江に石山秋の月、月に村雲花に風、風の便りを田舎から、唐をかくせし淡路島・・・」と記されています。

布団太鼓では今でもよく歌われる尻取歌の原曲で、40年ほど前には、岸和田でも夜になるとこの類の歌が聞かれました。

大阪湾岸に住む人々にとって、そして、岸の海(きしのわだうみ)住む岸和田の人々にとって、淡路島は日常の風景でした。その逆もまた然りと言えるでしょう。

現在では、岸和田と淡路を行き来するためには、大阪湾岸をぐるっと回って明石海峡大橋を渡らねばなりませんが、海路の往来が一般であった頃は、岸和田と淡路の距離は今よりももっと近いものであったはずです。

今回の企画を通して、岸和田の彫刻のルーツの一つである淡路彫の魅力がより広く知られることになることを願うとともに、岸和田と淡路との親交が深まれば嬉しく存じます。

思い起こせば、幼少の頃、いつも見ていた彫刻は、土呂幕にド迫力に展開されていた「天岩戸開き」でした。私はその時から40年の彫物ファンです。今回の河合申仁氏の新作は、淡路島、そして、新元号にちなんだ「国生み」とお聞きしております。私の彫刻体験の原点である天岩戸開きの全段にあたる日本神話です。個人的にも完成がとても楽しみです。

また、その国生みを行ったイザナギノミコト・イザナミノミコトが祀られる淡路島の風景、そして、そこで育まれた淡路彫の魅力を平田雅路氏の写真とお話から知ることができることも、もう一つの楽しみです。

彫刻に関する知識に乏しい私ですが、この度は図らずも太鼓台と地車の発達史、だんじりの語源について語ることで、会の末席に加えていただけることが叶いました。

だんじり彫刻の魅力を、少し離れた立場からではありますが、ご来場の皆様にお伝えするお手伝いができれば幸いです。