8月1日は尼崎城下の貴布禰(きふね)神社の夏祭の宵宮に参りました。御園町の地車(だんじり)。明治期に寝屋川あたりでの新調されたもののようです(岩根さんの地車悉皆調査)。下部の平べったい武者彫刻は少しわかりづらいですが元々は欄干だったと思われます。岸和田は欄干が矮小化して犬勾欄に(犬は本物でないの意)。二段の欄干は地車が二階建て構造であることを示しています。二階建て構造は川御座船の特徴。ここにも和船の記憶がございます^_^

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西町の地車(だんじり)。明治期に堺の町で新調だそうです。小屋根下の三枚板正面は天岩戸でした^_^ 中々のインパクト!お兄さんが垂れていた手綱を取ってくれましたm(_ _)m
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辰巳町の太鼓台。太鼓台の本義は神輿の触太鼓ですので、太鼓台一台と地車複数台というパタンが多いです。四方に梵天を立て、日除け雨除けでしょうか上部に布が張られています。これは本式の屋根が付く直前の形態のように感じます。祇園祭の岩戸山は寛政年間に鉾車と同じような屋根が付きましたが、その直前は布製の幕で囃子方の日除けとしておりました。こちらの祭では、かつて船渡御があったようで、その際、船に地車を乗せたのか、船用の地車があったのか忘れましたが、神輿に付き従ったようです。
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尼崎城下の貴布禰(きふね)神社の夏祭。神戸方面もそうだったと思いますが、鉦ではなく鐘が使われます。鐘は完全に仏具で、鉦は仏教系の双盤か雅楽系の鉦鼓かわかりませんが、いずれにしても仏教色が強いです。地車囃子の鉦は祇園祭の鉦を採り入れたように思いますが確信はありません。泉州地域でも鐘を用いる地車がありました(今もあるかも)。音色は若干違いますが、それより奏法が全く異なってきます。元々どちらだったのか、選択の意味は何か…また考えてみます。旋律は天神囃子系です。鐘だと少し雰囲気が異なります。内側を鐘木で打っていました。鐘と鉦の両方を使っている町もございました^_^
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この日は野里と尼崎を言ったり来たりで大変でした。色々と勉強になりました!