7月26日は粉河祭の前夜祭。次の日が宵宮です。本日、既にダンジリが組まれておりました^_^ 大きなヒゲコ(放射状に配した竹ひご)が特徴。明治中期か後期くらいに民俗学者の折口信夫が奈良の葛城山かどこかから大阪へ帰る時に道に迷って粉河寺の裏辺りに到着。その日は粉河祭の翌日(ゴエン)でした。「髯籠(ひげこ)の話」氏が生まれ育った木津村のダイガクとの類似性にも言及していたかと思います。
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摂河泉域に広く分布する御迎提灯(京都の十二灯も)も提灯の上に必ずと言って良いほど放射状の部材が付きます。粉河のダンジリも同系統であることは、このダンジリが御迎提灯が神賑化したものであることからも明らかです。

粉河のダンジリが何故ダンジリと呼ばれるのか。ダンジリと呼ばれる祭台の名称の由来には二パタンあって、一つは、かつて羯鼓稚児舞(だんじり舞)の舞台であった名残である場合。もう一つは、祭に出る祭台を一般にダンジリと呼ぶようになってから、地元の祭台をダンジリと呼ぶようになった場合です。粉河祭のダンジリは、御迎提灯が神賑化したものであるため、羯鼓稚児舞が関係している可能性は少なく、後者の理由による命名だと思われます。

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御迎提灯の神賑化には(1)提灯を大きくするパタンと、(2)提灯の数を多くするパタンがあります。粉河祭は前者(中央部が大きな行燈)、玉出のダイガクなどは後者です。

ダイガクも上部中央に掲げられている提灯が「一人持ち提灯」と呼ばれることから、元々は一張の提灯であったことがわかります。

粉河の曳車型御迎提灯は『紀州名所図会』にも描かれており、本宮には飾り幕で彩られます。曳車型御迎提灯で提灯の数を多くしたのが伊勢国は桑名の石取祭。

ヒゲコがカミの依代であるかどうかはわかりませんが、御迎提灯というカミ迎えの祭具に必須の部材であることには間違いありません。

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西国三十三所観音霊場・第三番札所。紀州国は粉河寺に参っております。大きな本堂の前の石積みは「庭」とのこと。中々のセンスです^_^ 粉河寺境内にご鎮座の粉河産土神社(粉河寺門前町の産土社)にもお参りしてまいりましたm(_ _)m

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尾張の津島天王祭の見聞の後、28日に再び紀州は粉河に!飾幕を巡らせたダンジリを見物したいと思っていたのですが…電車の接続がすこぶる悪く間に合いませんでした(-_-;)

・・・粉河寺の裏門に辿り着き、御堂を拝し畢つて表門を出ると、まづ目に着いたものがある。其日はちようど、祭りのごえん(後宴か御縁か)と言うて、まだ戸を閉ぢた家の多い町に、曳き捨てられただんじりの車の上に、大きな髯籠ヒゲコが仰向けに据ゑられてある。長い髯の車にあまり地上に靡いてゐるのを、此は何かと道行く人に聞けば、祭りのだんじりの竿の尖きに附ける飾りと言ふ事であつた。

髯籠(ひげこ)の話 折口信夫 (青空文庫)
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