篠笛草子 〜 ほのかに聞こゆるもいとをかし 〜

日本に古くから伝わる竹の横笛「篠笛(しのぶえ)」の随筆。篠笛奏者で篠笛文化研究社代表の森田玲が綴ります。
Essey about "Shinobue" transverse bamboo flute in Japan,by Shinobue player Akira Morita.

(株)篠笛文化研究社が運営するブログです。

2019年07月

7月28日は伊勢大神楽の岸和田場。この日は尾張でフィールドワークのため母が代理で民の謡(たみのうた)<篠笛文化研究社・岸和田店>でお祓いを受けましたm(_ _)m 写真は民の謡が間借させていただいている木彫刻・賢申堂と中町の地車(だんじり)です。
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7月28日は尾張は津島の天王祭の本宮。朝祭の準備中。一晩で巻藁船から車楽(ダンジリ)船に変身です^_^
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テンノウは牛頭天王(素盞嗚尊)の天王。疫病退散の夏祭。上層部には能に取材した衣装で着飾った藁人形。かつては毎年ネタが異なったハズ。愛知県の職員の方とは9時合流予定でしたが7時に現地到着。お稚児さんが乗り込み巨大な車楽(だんじり)船が水面を滑るように進みます^_^
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先頭の市江車と呼ばれるダンジリ船は川中で停泊。矛を採った若者たちが川に飛び込み御旅所まで水泳。上陸後、数百メートル先にある津島神社まで走ります。おそらく元々は全員揃って参っていたのが、誰かが走り始めて先陣争い的な流れになったのかもしれません^_^ 宵山の提灯の形、矛の行事、能の作り物、ダンジリ舞の奉納、そして、明日に斎行される神葭(みよし)神事(悪霊を葦に遷してカミ送り←おそらくこちらが祭の核)など、様々な時代の習俗や流行が重層的に折り重なっているように感じました^_^
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ダンジリ船は、かつてダンジリ舞を行なった稚児を乗せる船が神賑化して豪華絢爛に。ダンジリ舞の舞台であったから車楽(だんじり)船。ダンジリが芸能の名称であったことは、神社の式次第で「車楽(しゃらく)の奏上」とあることからも伺えます。現在はお稚児さんは座っているだけですが、かつては首に掛けた羯鼓をバチで打って舞を舞ったはずです。お稚児さんに付かず離れずの花台に羯鼓が掛けられております。花は何かの供物かと思いましたが、市江車の稚児のみ羯鼓を首から掛けて花飾りを頭に掲げています。他の町の稚児に従う羯鼓と花は、元々は稚児に付属していたもののようです。色々と勉強になりました。明日の「葦流し」も気になりますが秘儀のようですので、これにて退散^_^ 船なのに車なのは何故か?また考えます。
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7月27日は朝から名古屋に入りました^_^ 昨年は台風のため見物が叶わなかった尾張は津島の天王祭。今年も台風・・・
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津島天王祭の宵宮。台風のため断続的に雨が降っておりましたが、略式ながら巻藁船が出ました!3時間ひとり寂しく傘を差して待っておりました。二艘の小船に屋形を建てます。本来ですと何百個もの提灯で半球状に象って船上に掲げます^_^ 少しお能のを彷彿とさせる囃子(津島笛?)がスピーカーから流れる中(雨でなければ本楽かと)、天王川(現在は池)を渡って御旅所に安置されている神輿に拝礼。さすがに桟敷席は空っぽの状態でした…。こちらの巻藁船が明朝に装いを改めて車楽(だんじり)となるハズです。江戸期には地誌の類に「ダンジリの始まりは津島の天王祭か河内の誉田八幡祭か」と記されました。双方の共通点は羯鼓稚児舞の舞台であったことです^_^

7月26日は粉河祭の前夜祭。次の日が宵宮です。本日、既にダンジリが組まれておりました^_^ 大きなヒゲコ(放射状に配した竹ひご)が特徴。明治中期か後期くらいに民俗学者の折口信夫が奈良の葛城山かどこかから大阪へ帰る時に道に迷って粉河寺の裏辺りに到着。その日は粉河祭の翌日(ゴエン)でした。「髯籠(ひげこ)の話」氏が生まれ育った木津村のダイガクとの類似性にも言及していたかと思います。
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摂河泉域に広く分布する御迎提灯(京都の十二灯も)も提灯の上に必ずと言って良いほど放射状の部材が付きます。粉河のダンジリも同系統であることは、このダンジリが御迎提灯が神賑化したものであることからも明らかです。

粉河のダンジリが何故ダンジリと呼ばれるのか。ダンジリと呼ばれる祭台の名称の由来には二パタンあって、一つは、かつて羯鼓稚児舞(だんじり舞)の舞台であった名残である場合。もう一つは、祭に出る祭台を一般にダンジリと呼ぶようになってから、地元の祭台をダンジリと呼ぶようになった場合です。粉河祭のダンジリは、御迎提灯が神賑化したものであるため、羯鼓稚児舞が関係している可能性は少なく、後者の理由による命名だと思われます。

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御迎提灯の神賑化には(1)提灯を大きくするパタンと、(2)提灯の数を多くするパタンがあります。粉河祭は前者(中央部が大きな行燈)、玉出のダイガクなどは後者です。

ダイガクも上部中央に掲げられている提灯が「一人持ち提灯」と呼ばれることから、元々は一張の提灯であったことがわかります。

粉河の曳車型御迎提灯は『紀州名所図会』にも描かれており、本宮には飾り幕で彩られます。曳車型御迎提灯で提灯の数を多くしたのが伊勢国は桑名の石取祭。

ヒゲコがカミの依代であるかどうかはわかりませんが、御迎提灯というカミ迎えの祭具に必須の部材であることには間違いありません。

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西国三十三所観音霊場・第三番札所。紀州国は粉河寺に参っております。大きな本堂の前の石積みは「庭」とのこと。中々のセンスです^_^ 粉河寺境内にご鎮座の粉河産土神社(粉河寺門前町の産土社)にもお参りしてまいりましたm(_ _)m

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尾張の津島天王祭の見聞の後、28日に再び紀州は粉河に!飾幕を巡らせたダンジリを見物したいと思っていたのですが…電車の接続がすこぶる悪く間に合いませんでした(-_-;)

・・・粉河寺の裏門に辿り着き、御堂を拝し畢つて表門を出ると、まづ目に着いたものがある。其日はちようど、祭りのごえん(後宴か御縁か)と言うて、まだ戸を閉ぢた家の多い町に、曳き捨てられただんじりの車の上に、大きな髯籠ヒゲコが仰向けに据ゑられてある。長い髯の車にあまり地上に靡いてゐるのを、此は何かと道行く人に聞けば、祭りのだんじりの竿の尖きに附ける飾りと言ふ事であつた。

髯籠(ひげこ)の話 折口信夫 (青空文庫)
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7月25日は天神祭の本宮。この日は陸渡御・船渡御とも地車講にご一緒させて頂いての取材です^_^ 10年ほど前にガッツリと見物させて頂きましたが、今一度、天満市場の三ツ屋根地車の勉強中です。龍踊りは移動式芸能舞台である地車で演じられた歌舞音曲の系譜に位置します。
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数日前に地車本体を見聞させていただきました。嘉永五年(ペルリ来航の前年)の製作とされる三ツ屋根の地車(だんじり)。川御座船そのものデス。花鳥霊獣中心の彫刻で、部材に対する彫刻の割合が煩くなく絶妙!下部には御祭神に因んだ菅原天神記と思しき彫刻が施されています。
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大川を渡る船上の龍踊り!
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大川の両岸には立錐の余地もない程の見物人。往古は鉾が流れ着いた場所を御旅所とし、江戸時代は下流の幾つかの場所を固定の御旅所としました。戦後、地盤沈下のため(経済の、ではなく物理的な)渡御船が橋をくぐることができなくなって止む無く上流への渡御に変更。地盤沈下の問題に加えて旧暦から新暦へ祭の日取りが変わっていたことも少なからず影響があったと思います。太陰太陽暦ですと潮の干満のタイミングが毎年同じだったはず。天神祭では船の真上に花火が上がります^_^ この花火はイベントの花火ではなく神賑の一環という位置付けで良いかと思います^_^ JR環状線の電車が橋の上で数分間サービス停車していました!
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天神祭の船渡御!終局も怒涛のダンジリ囃子です^_^ 10年ほど前は一般の奉拝船でしたが、今回は初めて供奉船に乗せて頂きました。乗船時間は約3時間。行き交う船と手打ちを交わします。祇園祭とは一味違ったスケール感です!


船渡御を終え各講は大阪天満宮に宮入。
催太鼓。催(もよおし)は報知の意で渡御列の先頭を行ってカミの到来を告げます。神賑の枠式太鼓台のルーツは神輿の触太鼓。こちらに屋根が付くと布団太鼓など屋根付き太鼓台となります。バチを打つ願人(がんじ)と祇園祭の稚児とは「だんじり舞」(羯鼓稚児舞)というキーワードで遠い遠い親戚の可能性がございます^_^ 願人が地下足袋のまま昇殿を許されるというのは、かつては願人は無垢な稚児が務めて地面に足を着けずに肩車されて移動していた名残だと思われます。 左右にシーソーのように上下させる荒技カラウスは唐臼の動きに似ているからか、烏が飛ぶ動作を表しているからか… 掛声はチョウサ・ヨウサ系のチェーサージャ^_^
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天神講獅子の梵天・獅子・傘踊・四ツ竹^_^ それにしても凄まじい人数です!囃子の旋律は明治中期に伊勢大神楽から習ったもので、道中は馬鹿囃子が吹かれます。かつては歌も歌われました。記憶は定かではありませんが確か…浪花の名物天神さん/御神灯仰ぐお祭に/舞うはお獅子の花の舞/ヨイショ!みたいな歌詞だったと思います(上田長太郎『大阪の夏祭』や『日本民謡大観』に収録)。終局のシンデン(神殿?)では、伊勢大神楽で言うところの「鈴の舞」が吹かれます^_^
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地車がトウヤ(当屋・頭屋)に収められました。江戸時代、地車は宵宮の晩の主役で、提灯に彩られた何十台もの地車が宮入し境内奥に据え置かれ本宮の朝までダンジリ囃子を囃しました。記憶が定かではありませんが、五雲亭貞秀の錦絵「浪速天満祭」にはダンジリ囃子を「ドンチチ」と描写していたはずです。翌朝、神輿の船渡御の乗船場まで供奉し各町に帰りました。そのためでしょう、天神祭以外でも日中でも提灯が付いた状態が正式な飾り付けという地車は少なくありません。

今回は天神祭を内側から見聞する機会を得ることができました。少し地車に詳しくなってきたかもしれません。

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大阪天満宮さま、地車講の皆さま、ありがとうございましたm(_ _)m

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