8月16日。今年も家族で「五山の送り火」に参りました。

日頃「あっ!ここよう見えるやん!覚えとこ!」とベストポイントを見つけるのですが、当日になって正確な位置を忘れてしまい、確認しようとするも真っ暗で(点火は20時)毎年あたふたしてしまいます(笑)。

今年は、鴨川の二条大橋の少し北側に・・・夜空に美しく大の文字が浮かび上がりました。
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「大文字焼き」と呼ぶと現在の京都では違和感が持たれます。実際、山を焼いているではなく、大松明に点火して「大文字」「妙法」「船形」「左大文字」「鳥居形」を象ります。

ちなみに江戸期には旧暦7月16日の日取りでした。旧暦の15日はほぼ望月で、翌日も夕刻の早いタイミングで東山から丸いお月様が登ります。そのため、かつては「大文字」と「満月」はセットで認識されていました。


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<大文字山(東山如意ヶ嶽)の山の端に月が見えます(森田玲『日本の祭と神賑』より)>

「新暦と旧暦の違い」は、日本の祭を考える上で大切な内容です。これについては、機会を改めて詳しく述べたいと思います。


話を戻します。それでは、この「五山の送り火」の目的は何かご存じでしょうか?

この行事は、その名の通り祖霊(精霊)を送るために行なわれます。

よく知られている海や川での「精霊流し」と同じ意味合いの行事です。

そして、「送り火」があれば「迎え火」もございます。
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写真は昨年のもの。うちの玄関で「迎え火」を焚きました。
桜が「誰かきた!」と言った時には、さすがにびっくりしました。

古くは「送り火」も、このような各戸で行なっていたと思いますが、京都では、それが大々的になりました(私は「神賑化」と呼んでいます)。

「お盆」(盂蘭盆会)というのは仏教用語ですので、「送り火」も仏教行事のような気がしますが、純度100%ではございません。

日本教の仏教割りカクテルと言ったところでしょうか・・・

オリジナルの仏教は「輪廻」から逃れるために「解脱」することが目的で、そのために様々な修行が行なわれます。輪廻転生の概念では、亡くなった人は何かに生まれ変わっているわけですから、祖霊の存在を認めていないことになります。

日本のお盆には、仏教伝来以前の宗教観が反映されています。

すなわち「カミ迎え」「カミ祀り」「カミ送り」の三部構造です。

このような三部構成は日本の様々な行事でみることができます。

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(森田玲『日本の祭と神賑』より)

日本におけるカミは「畏れ多いものすべて」を指します。つまり、ここではご先祖様の魂もカミと解されます。

何らかの方法でカミ(祖霊)をお迎えし、供物と読経を奉ります、そして何らかの方法でカミをお送りします。

盆踊りと言えば「盆踊り」。これは、生きている人々と祖霊が交歓する行事であることが多く、その場合は「カミ祀り」に含まれます。

話が少し込み入ってきました・・・

カミ様をお迎えするために、一般的に用いられるものが「火」です。これはお盆に特有のものではなく、神社の祭でも一般的で、御神灯と同じ役割です。


京都では「迎え鐘」と「送り鐘」もよく知られます。

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私は毎年、六波羅にある六道珍皇寺の「迎え鐘」に参っています。こちらには閻魔様の像がございます。閻魔様に仕えた平安時代初期の小野篁(おののたかむら)は、境内にある井戸から冥界に通ったとされています。

昨年まで、閻魔さんにビビっていた桜ですが、今年は「ちょっと待ってて!ひとりでお参りするから!」と・・・成長にびっくりです。

「送り鐘」は、寺町三条にある「矢田寺」が有名です。

こちらは「カミ迎え」と「カミ送り」に「火」ではなく仏教的?な「鐘」を用いています。

なくなった人の祀り方は国や地域によって様々です。日本ではご先祖様のお祀りは仏教(日本化された)にお任せされていますが、その根本には仏教伝来以来の宗教観が脈々と受け継がれているように感じます。