秩父夜祭(秩父神社)参りました。 
12月1日
池袋から特急レッドアローで約1時間半。西武秩父駅に到着です。
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御旅所
秩父神社と神奈備・武甲山との軸線上に位置します。地域では「お花畑」と呼ばれており、その名称に依るのでしょう近くにJR「御花畑駅」があります。知らない人は「どこにお花畑が??」となるに違いありません。御旅所には「亀の子石」が据えられていました。秩父神社は江戸期は妙見宮と呼ばれていたようですので、妙見→北極星→北→玄武かもしれません。神輿が到着すると背にあけられたホゾに御幣が立てられるようです。秩父神社の姫神と武甲山の男神とが、この亀石で逢うことになるそうです。周囲は1000人規模の桟敷席の設営中デス!石前には南天が供えられていましたm(_ _)m。
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秩父まつり会館
右が屋台、左が笠鉾と呼ばれています。いわゆる「傘鉾」は全国的に分布し曳車系の神賑の練物よりも歴史は古く、その役割もより神事に近い気がします。この「傘鉾」は系統が二種類あるような気がします(検証はしていません)。一つは「お迎え提灯」、もう一つが、その傘下で芸能をする類の「傘舞台?」。秩父夜祭の傘鉾は、「お迎え提灯」が神賑化した大坂のダイガクや京都の十二燈、折口信夫がヒゲコ(放射状に広がる部分)について考えを巡らせるようになった粉河(和歌山)の車楽(ダンジリ)を連想させます。
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会館には先代の亀石と、室町時代(推定)の神輿が展示されていました。幕末までは祭に出たそうです。近年関東に多い屋根の縁に並ぶ花形(吹き返し)もなく〈←このタイプは鶴岡八幡宮がルーツで明治以降に江戸経由で周囲に伝播と思われます〉、本体も金銅製でなく木製の「原初的な形態の鳳輦型神輿」に感動!「年中行事絵巻」に描かれた平安時代後期の祇園御霊会のものと瓜二つ。祭の時には瓔珞など仏教的な荘厳具で飾り付けられたかもしれません。
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秩父神社
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あちこちで祭の準備中。一見、神幸祭の前列を行く一般的な真榊に見えますが、根元に巻かれた藁作りの蛇が重要みたいです。春に行われる模擬的な予祝神事「御田植祭」(田遊び)で水神として用いられるものらしく、この真榊を御旅所の亀石に奉ることによって、春に迎えたカミ様をカミ送りすることになるという解釈もあるようです。祭は文化のタイムカプセルですね。

12月2日
神楽殿
神楽の奉納。三十数座の演目があるようです。清らかな笛の音が鳴り響いています。写真は「天の岩戸開き」。
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笠鉾・屋台
屋台が動き出しました!超ド級の屋台は梃子で浮かせて凸型の部材を底に据え、それを軸に回転させて進行方向を変えるようです…「ギリまわし」!小太鼓と大太鼓の軽快な拍子が身体を鼓舞し、篠笛の音が心地良く響きわたります。
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歌舞伎踊り
要所では歌舞伎踊りが披露されます。屋根の下の空間は芸能のための舞台。そのため移動時の屋台囃子は舞台下の幕の中、外からは全く見えない場所で囃されます。これは大坂の初期の楽車(だんじり)と同じパタン。
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薗田稔宮司
今回の旅の目的の第一は秩父神社の薗田稔宮司様へのご挨拶。とても有意義な時間を賜りました。京都大学名誉教授でもあられる薗田先生は、以前より「祭」を「祭儀(リチュアル)」と「祝祭(フェスティビティ)」の二局面に分け(私の述べる「神事」と「神賑行事」)、その両方のバランスが大切としつつ、「祝祭」(神賑)における「聖反」(乱痴気騒ぎ等)も無視できない大切な要素であるとされます。神職の立場でありながらも「氏子側」の眼差しを持ちつつ、「祭」の地域コミュニティにおける役割を学問的に位置付け、それを実践されている方の、淡々と語られる中にもズシリと重い説得力のある言葉の数々を一つ一つ噛みしめました。先日、畏れ多くも拙著『日本の祭と神賑』創元社の書評を賜りました。私の「神賑研究」における羅針盤です。明日は朝から例祭式ですm(_ _)m。ネクタイ締める練習せんとあきません…記事は埼玉新聞。
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12月3日
例大祭
畏れ多くも秩父神社の例大祭に参列させていただく機会を得て玉串を奉らせていただきました。200名ほどの参列があり、晴天無風の中、滞りなく厳かに祭典が執り行なわれました。四名の巫女による清らかな「柞(ははそ)乃舞」も奉納されましたm(_ _)m。
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地芝居(歌舞伎)
張り出し舞台が両端に組み立てられ、屋台が「曳車」から「芸能舞台」へと変形しました!大阪から瀬戸内域に分布する地車(だんじり)にも、仮設で舞台が広げられるものや、設計の段階で舞台を広くするものがあり、「楽車」の文字が充てられることがあります(「楽」は歌舞音曲の意)。大勢で重量物を綱で曳くという行為は、大仏様の開眼会の筆に結ばれた縷(る)のごとく、一同の心を一つにし人々を惹き付けるもので、笛や太鼓の囃子も伴って賑やかに神賑化しますが、各地の祭の曳車の「曳く目的」の核の一つは「舞台装置の移動」であったように思います。
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ユネスコ無形文化財に登録された際の分類名で述べると、曳車には3つのタイプがあります。

曳車
① 鉾(悪霊の類などカミの依る避雷針がルーツ)
② 山(人形などの作り物を披露する)
③ 屋台(移動式芸能舞台)

秩父の屋台囃子は、舞台下の見えない所で囃され、舞台はいつでも芸能ができる状態を保っています。これは初期形態を保つ「地車」も同じ。「曳行」に特化したのが「岸和田型のダンジリ」ですが、大屋根を支える柱を「舞台柱」と呼ぶことは、その名残かもしれませんし、青年団による「芸」は「ニワカ」の傍流と解釈することができます。秩父祭は底なしの魅力!

神幸祭
秩父夜祭…その名が示すように夜が本番。その核となるのが御旅所までの神幸祭。清らかな笛の音の道楽。威儀を整えられた神幸列に提灯を掲げて各町の供物が加わります。圧倒的な数です!先頭の真榊の根元の藁綱には春に迎えた水神の霊が宿り、神輿には秩父神社の御神霊が遷されております。笠鉾と屋台は、この神幸列の後に参ります。それにしても予想以上の人出で移動がタイヘンでした。
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今回の旅のベストショット?暖をとりつ花火を見上げる鉄道員!御旅所のある通称・お花畑の手前の急な傾斜は団子坂と呼ばれ、気合いで笠鉾・屋台を曳き上げます。秩父は荒川の河岸段丘上に営まれた町場のようで所々で急坂に出くわします。団子坂を横切る秩父鉄道の踏切の架線は背の高い笠鉾や屋台を通すために一時的に取り外されます!
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神幸列が御旅所に到着!花火の数々が祭の信仰軸・武甲山方面の夜空に煌めきます。それにしても寒ぶかったです…
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御旅所に笠鉾と屋台が上がって参りました。ポスターの花火は誇張表現ではございませんでした!!神幸祭、笠鉾と屋台を彩る祝砲の花火!和製ロケット?を打ち上げる「龍勢(流星?)祭」も確かこの近辺だったように思います。火薬の産地?だったのでしょうか…それにしても中々ダイナミックな演出で、花火一つ一つに名前と製作者名が読み上げらました。花火の世界も奥が深そうです。
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秩父夜祭は終局を迎えつつあります。二台の笠鉾と四台の屋台が御旅所に向けて据えられました。亀の子石に大きな幣を立て斎場祭が始まりますm(_ _)m。
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12月4日
蚕糸祭(さんしさい)
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4日午前は「蚕糸祭(さんしさい)」。秩父はかつて養蚕で栄え、祭の日には絹市が立ち、秩父夜祭は「お蚕祭」とも呼ばれたそうです。蚕の繭がお供えに上がっていました 。右は野蚕に近い品種でしょうか?若草色に輝いております!秩父神社は「小字・ははその森」にご鎮座とのこと。「柞(ははそ)」は万葉集にもみえるナラ・クヌギなどのドングリの採れる落葉広葉樹を指します。おそらく神社の杜を指すと思いますが、中国の蚕に柞蚕という品種もあるようです。
流鏑馬
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締め括りは御旅所での「流鏑馬」。古い祭は馬が走ります!午後からの神事で、私は途中で電車に飛び乗ることになりそうです。土を盛って仮設の馬場を作るのですね。それにしても、この狭い道幅で十分とはびっくりです!お馬さんはただいま準備運動中。祭には、その地域の生活文化の歴史的な営みが、日常生活の損得勘定を越えた精神的・金銭的な力によって結晶化しています。私は、祭そのものに対する興味よりも、祭を通して「その地域の自然や文化の記憶のようなもの」を知りたいのかもしれません。とても有意義な四日間でした。そろそろ仕事をしないとお正月を迎えられません。篠笛の吹き方も忘れてしまいました…急いで京都へ!