篠笛草子 〜 ほのかに聞こゆるもいとをかし 〜

日本に古くから伝わる竹の横笛「篠笛(しのぶえ)」の随筆。篠笛奏者で篠笛文化研究社代表の森田玲が綴ります。
Essey about "Shinobue" transverse bamboo flute in Japan,by Shinobue player Akira Morita.

(株)篠笛文化研究社が運営するブログです。

カテゴリ: 日本の祭(神事と神賑行事)と文化

3月3日はご案内をいただいていた「第13回 和歌山県 民俗芸能祭」に参りました。和歌山県下の芸能の見聞が少なかったので色々と勉強になりました。獅子舞の数も多く、笛は地元の手作りが多いという印象があります。黒潮による温暖な気候のため(確か珊瑚もありました)節間の長い女竹が育つからかもしれません。時折、古座や勝浦辺りから笛の特注をいただきます。
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今回の解説にもありましたが、伊勢大神楽の影響を受けていると言われることがありますが、音曲に関しては、伊勢大神楽と共通する旋律にまだ出会ったことがございません。今日は、むしろ、椿大神社や伊奈冨神社などの四山の獅子舞に似たような雰囲気を感じた瞬間がありました。伊勢大神楽との共通点としては、聖獣である獅子が手に採物を採る採物舞を行ないます。

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獅子の舞衣(ユタン)の中に3人が入るパタンが多くびっくりしました。2人よりも派手な表現を可能とするためでしょう。

それにしても、2人立ちになった時の聖獣の獅子の動きの表現は本当に素晴らしいですね。こちらは演目の中でも頻度が高いこともあり伊勢大神楽よりもこなれていると感じました。

念仏踊り、盆踊り系の芸能も美しかったっです。

出演団体は以下の通りです。

・梅中傘踊り(紀美野町)
・亀の川念仏踊り(海南市)
・西岩代の獅子舞(みなべ町)
・野中の獅子舞(田辺市)
・高芝の獅子舞(那智勝浦町)

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個人的にはとても勉強になったのですが、2つだけ気になったこと。

まず、お客さんの人数が少なすぎます。おそらく出演者の関係者がほとんどではないでしょうか?
各演目の前にわかりやすい解説はあったのですが、これらを総括するような講演(歴史や課題など)を後半にくっつけて、より多くの皆様にお越しいただけるようにできるのではないかと感じました。

あとは、お馴染み篠笛ネタですが、篠笛にマイクはいりません。
ホールということもあり、歌に関しては、言葉が聞き取れないと意味がないので補助的に使うことは選択肢に入りますが、篠笛は、それ自体が拡声器みたいなものです。今日は、マイクの音が大き過ぎて耳が痛くなりました。

とは言え、味わい深い和歌山県内の芸能を楽しむことができて良かったです。

保育園もドレミのお遊戯ではなく、このような土着の芸能を少し範囲を広げて導入する(東北の芸能を関西で教えるとかではなく)ようなことが検討されても良いかと思っています。特に、継承が限界にきているような芸能の新たな避難措置にもなるかもしれません。地元の芸能は地元のものですので協議は必要ですが。

民俗芸能の太鼓の打ち方と創作太鼓の太鼓の打ち方について、少し思ったことがあるので、それは別記事でアップします。

6月1日(土)は岸和田にて開催の「彫物ひねもす博覧会」で彫師の河合申仁さんと写真家の平田雅路さんとご一緒させていただきます。

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今回の私の役割は「彫物ひねもす博覧会」の主役である太鼓台と地車の両方を、少しだけ学術的な立場から繋ぐこと。
 
「ひね博」の詳細はこちら → https://kishiwada1.wixsite.com/kishiwada-awaji/forum/

 
今回の「ひねもす」という言葉には「一日だけだけれども一日中」という意味が込められております。


切り口は以下の三つです。

(1)太鼓台のルーツは神輿の触れ太鼓。

(2)地車のルーツは江戸時代の豪華絢爛の川御座船(かわござぶね)。

(3)淡路の太鼓台は「だんじり」と呼ばれます。岸和田の地車も「だんじり」。姿も来歴もまったく異なる両者がなぜ同じ「だんじり」と呼ばれるのか。

(3)の謎を解く鍵は、太鼓台と地車が持っていた、地域によっては今も残っている、共通する役割の中にありました。当日の講演では、先行研究の成果を援用しながら、太鼓台と地車のルーツ、そして、「だんじりの語源」に迫って、より淡路と岸和田との距離を縮めることができればと思っています。

嘉永三年(1850)の『皇都午睡』には、大坂の太鼓台の担ぎ歌として「近江に石山秋の月、月に村雲花に風、風の便りを田舎から、唐をかくせし淡路島・・・」と記されています。

布団太鼓では今でもよく歌われる尻取歌の原曲で、40年ほど前には、岸和田でも夜になるとこの類の歌が聞かれました。

大阪湾岸に住む人々にとって、そして、岸の海(きしのわだうみ)住む岸和田の人々にとって、淡路島は日常の風景でした。その逆もまた然りと言えるでしょう。

現在では、岸和田と淡路を行き来するためには、大阪湾岸をぐるっと回って明石海峡大橋を渡らねばなりませんが、海路の往来が一般であった頃は、岸和田と淡路の距離は今よりももっと近いものであったはずです。

今回の企画を通して、岸和田の彫刻のルーツの一つである淡路彫の魅力がより広く知られることになることを願うとともに、岸和田と淡路との親交が深まれば嬉しく存じます。

思い起こせば、幼少の頃、いつも見ていた彫刻は、土呂幕にド迫力に展開されていた「天岩戸開き」でした。私はその時から40年の彫物ファンです。今回の河合申仁氏の新作は、淡路島、そして、新元号にちなんだ「国生み」とお聞きしております。私の彫刻体験の原点である天岩戸開きの全段にあたる日本神話です。個人的にも完成がとても楽しみです。

また、その国生みを行ったイザナギノミコト・イザナミノミコトが祀られる淡路島の風景、そして、そこで育まれた淡路彫の魅力を平田雅路氏の写真とお話から知ることができることも、もう一つの楽しみです。

彫刻に関する知識に乏しい私ですが、この度は図らずも太鼓台と地車の発達史、だんじりの語源について語ることで、会の末席に加えていただけることが叶いました。

だんじり彫刻の魅力を、少し離れた立場からではありますが、ご来場の皆様にお伝えするお手伝いができれば幸いです。

3月9日(土)北野天満宮の「曲水の宴」にて森田桜(5歳)が童子役を賜りご奉仕させていただくこととなりました。曲水を流れる盃をツンツンと突いて誘導するという大役です。

皆さまお誘い合せの上、ご参拝頂ければ嬉しく存じます m(_ _)m

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拝観のご案内 → http://kitanotenmangu.or.jp/info/news/

今年度に引き続き来年度も弘道館での講座が決定いたしました。
弘道館講座チラシ(第二期)




★ 2018年度の最終回は3月17日(日)「祭は誰のものか?」です。

http://shinobue.blog.jp/archives/9057882.html

弘道館は急激に姿を消しつつある京町家を保存し、その景観や文化を守ろうとする有志の皆さんによって運営されております。講座にご参加いただくことが、その保存活動に繋がります!

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日本の祭と神賑(かみにぎわい)ー全6回ー
京都・摂河泉の祭具から読み解く祈りのかたち
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※1回ごとの受講でもお楽しみ頂けます!

受講料 2000円
会場 有斐斎 弘道館
時間  11時~12時半

★お申し込み → こちら

講師  森田玲(もりた あきら)
    玲月流初代・篠笛奏者/京都市芸術文化特別奨励者
      『日本の祭と神賑』創元社/『日本の音 篠笛事始め』

チラシPDF
→ http://shinobue.blog.jp/ko-do-kan-02.pdf


◆ 神輿・山鉾・だんじり(地車・太鼓台)・お迎え提灯・獅子舞などの祭具・芸能の発達史から、祭の過去・現在・未来について考えます!

◆ 本講座では、祭を「神事」「神賑行事」という二つの局面に分けて話を進めます。

◆ 「祭」の中で、ヒトの意識がカミ様に向いている場面が「神事」。ヒトの意識がヒト(氏子同士や見物人)に向いている場面が「神賑行事」です。

◆ 祭の目的は? 祭の役割は? 祭は誰のものか?

<2019>

4/21(日)   神賑行事とは何か? -祭を読み解く羅針盤-

6/16(日)   神輿と御迎提灯 -カミの道行きとカミ迎えの灯-

8/18(日)   鉾と山と曳車  -カミの道行きとカミ迎えの灯-

10/20(日)   地車と太鼓台 -ダンジリの語源とルーツに迫る-

12/15(日)   獅子舞 -唐獅子の来歴と伊勢大神楽-

<2020>

2/16(日)   心で読み解く日本三大祭 -祇園祭・天神祭・天下祭-

拙著、森田玲『日本の祭と神賑(かみにぎわい)』創元社の増版(三刷)決定いたしました!
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本の詳細 → https://taminouta.stores.jp/items/55bf32c23cd4823af20006b8

2015年7月の発売から3年半が経ちました。「神賑(かみにぎわい)」という切り口で「祭」を読み解く、という方法は、氏子の皆さま、神職の皆さま、学術関係者の皆さまからも好意的な意見を多く賜ることがでいました。この本を土台に五年から十年以内に改訂増補版を出すことができればと思っております。


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以下、 折に触れて自身の研究の羅針盤とさせて頂いている、秩父神社の宮司さまで京都大学名誉教授の薗田稔先生の書評です。

PDF→こちら

森田玲著 『日本の祭と神賑(かみにぎわい)』(創元社) 薗田稔 (京都大学名誉教授・秩父神社宮司)

余談というわけではないが、旧臘十二月一日に日本の国指定重要無形文化財である三十三件の「山・鉾・屋台行事」が一括されて、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界無形文化遺産に登録されることになった。すでに登録済みの「日立風流物」と「京都祇園祭の山鉾行事」に加えて実に十八府県に亘る各地に伝承されている祭礼行事が、正式に世界の文化遺産に認証されたことになる。

一昨年三月に文化庁がユネスコ登録を申請した内容を見ると、「地域社会の安泰や災厄防除を願い、地域の人々が一体となり執り行う『山・鉾・屋台』の巡行を中心とした祭礼行事」となっており、その提案要旨には、「祭に迎える神霊の依り代であり、迎えた神をにぎやかし慰撫する造形物である」山・鉾・屋台は、「伝統的な工芸技術により何世紀にもわたり維持され、地域の自然環境を損なわない材料の利用等の工夫や努力」により持続可能な方法で永く継承され、またその巡行のほか「祭礼に当たり披露される芸能や口承に向けて、地域の人々は年間を通じて準備や練習に取り組んで」いるので、これらの祭礼行事は、「各地域において世代を超えた多くの人々の間の対話と交流を促進し、コミュニティを結びつける重要な役割を果たしている。」と謳われている(平成二十七年三月五日付け文化庁報道発表から)。

本書の書評を前にして直接関係のない時事的内容を紹介するのも、実は本書の内容が、正しくユネスコ登録が成った日本の祭礼行事の提案要旨を個別具体的に詳述している好著であることを、まずは指摘してみたかったからに他ならない。

まず本書の副題に「京都・摂河泉(せっかせん)の祭具から読み解く祈りのかたち」とあるように、現代日本の祭の基本構造を神事と神賑行事から成ると見極めた上で、その神賑行事に登場する神輿・提灯・太鼓台・地車・唐獅子などの祭具を、おもに京都と大阪(摂津・河内・和泉)の各地の祭礼行事の実態に即して取材した成果を詳細に比較検討する手法で、それぞれの起源と歴史的展開を辿りつつ多彩に展開する祭の本質とその魅力を平明に描き出すことに成功している。ともかく本書は、京・大阪の各地に生きる多彩な祭礼行事に取材しながら、それぞれの神賑わいに登場する祭具の象徴分析を通して共有される祭の本質に迫ろうとする着実な論述として読者を惹き付けるものがあろう。

本書の全体構成を紹介すると、まず「まえがき」に続く序章「図説・祭のかたちを読み解く」で豊富な絵図資料を掲載しながら、祭の基本構成と神輿や提灯など、本文各章でとりあげる内容を簡潔に紹介する。第一章「祭の構造」では、時代や地域を超えて共通する祭の基本概念を論じて、祭が「カミ迎え」「カミ祀り」「カミ送り」の三部から成り、また「神事」と「神賑行事」という二つの局面があることを指摘するが、これらは祭の先行研究からしても妥当である。第二章「神輿」では、カミの道行き、つまり一般に神幸祭に登場する神輿の発達史を述べて、特に現在の金飾りは神仏習合の産物だとの指摘は目新しいところ。第三章から第六章までは、「御迎え提灯」「太鼓台」「地車(だんじり)」「唐獅子」の順に、それぞれ豊富な図表と写真を用い多様で魅力的な祭具の世界を紹介しながら、それらが登場する各地の祭礼形態が地域の風土や歴史を反映して多彩だが、それでも互いにさまざまな共通点を見出すことができるとする立論は、着実な事例紹介にも説得力に富んで大いに評価できる。その一例を挙げれば、第三章の「御迎え提灯」では、祭に欠かせない提灯の源流はカミ迎えのための庭燎(にわび)だとの指摘は重要で、この点は、かつて日本民俗学の大成者、柳田國男が古典的名著『日本の祭』(一九四二刊)に、本来の祭では、宵宮に当たる夕べから朝までの間の一夜が大切な部分であって、庭に篝火を焚いて神を迎え、神をおもてなしする方式は、人が最上級の賓客を歓待するに類似だと喝破していることにも通じている。ただし惜しむらくは、なぜ提灯が「祭に欠かせないか」について著者は柳田のように、本来の祭にはカミ迎えに夜間こそが大事であったからこそという指摘に及んでいない点である。現代の祭が、とかく夜の霊性を見失っていることがその理由でもあろう。

さて続く第七章「祭のフィールドワーク」では、著者がこの十年に亘って精力的に採訪した近畿地方一帯の多数の事例を、春夏秋冬の四季に応じた祭礼の類型に即して、しかも著者独自の視点を活かし、豊富なカラー写真や図版を配置して簡潔明瞭に紹介していて、読者も楽しく読み進むことができる。とりわけ祭研究を自認しながら近畿地方の事例に昏い評者には、本書の序章に先立って挿入されている関係社寺の所在地図を参照しながらの貴重な学習であったことを感謝したい。

最終の第八章「祭は誰のものか」こそは、著者がここ十年来の祭を一途に探求するなかで最も本書で読者に訴えたかった「現在の祭が抱える課題」であり、その最たる事例に最近目立つ「祭の土日開催」を採り上げる。著者が彼の幼時から体験的に深く係わってきた岸和田だんじり祭が近年に「土日開催」となって、神事から神賑行事が引き離されたことに衝撃を受け、肝心のカミを忘れて単にヒトの賑わいばかりのイベントと堕してしまうことで、本来の祭が伝承する「人と自然との関わり、森・里・海の連環、カミとヒトとの関係」(あとがき)といった大切な役割を喪失してしまうのではないか、と当面の課題を提起している。

この指摘こそが、本書が日本の祭の本質を衝いた、単なる祭の概説書ではない証しである。

『社叢学研究』第15号(社叢学会 2017.3)




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