篠笛草子 〜 ほのかに聞こゆるもいとをかし 〜

日本に古くから伝わる竹の横笛「篠笛(しのぶえ)」の随筆。篠笛奏者で篠笛文化研究社代表の森田玲が綴ります。
Essey about "Shinobue" transverse bamboo flute in Japan,by Shinobue player Akira Morita.

(株)篠笛文化研究社が運営するブログです。

カテゴリ: 日本の祭(神事と神賑行事)と文化

8月1日は一夜官女祭で有名な野里住吉神社(大阪市西淀川区)の夏祭に参りました^_^ 小屋根下が幕式の古いタイプの地車がございました。
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中々おしゃれな彫刻を発見!地車(だんじり)の下部(台木、胴掛幕、水板など)には波の意匠が施されることが多いです。これは地車のモデルが川御座船だったことに拠ります。こちらの中神車は何と浦島太郎。さながら潜水艇です^_^ 神車という表現の由来はよくわかりませんが、神社の石碑には昭和三十年くらいの時点で神車となっていました。ダンジリ→地車→ジグルマ→ジングルマ→神車でしょうか?伊勢大神楽では獅子狂舞→神来舞(シグルマ)→神車舞(ジングルマイ)という転訛のパタンがございました^_^
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この後、尼崎に参って、夜には再び野里に。
境内では「はりげん」の地車囃子と踊りが披露されておりました!蒲生・今福の囃子と踊りとは少し趣きが異なります。大太鼓の縁打ちの入れ方の自由度が高く、踊りは龍踊りよりも歯切れ良く感じました。中々良い感じの地車囃子で、しばし聴き入ってしまいました^_^

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野里住吉神社(大阪市西淀川区)の夏祭。地車(だんじり)が向かい合っての「追い合い」。女の子の「おーたおーた!」の元気な掛声が響きます^_^ 「おーたおーた(追うた追うた)」は地車に一般的かつ歴史上重要な掛声で、元々は天神祭で何十台も地車が出ていたような時代に、前方の地車を追って囃した掛声だと推測しております。泉州では「ケツをかく」とも言います^_^ 岸和田の地車で曳手の横を走って団扇で曳手を鼓舞する「追い役」は、前の地車に追い付かせるための役の意味か…と十数年前に貝塚の南川さんがおっしゃっていました^_^ 二台の車で目的地まで行く時、先行の車に着かず離れずで参ることを「おーおーたで行こう!」とひと昔前は言ったそうです…


野里住吉神社(大阪市西淀川区)の夏祭。宮入一番の太鼓台です。こちらの打手(願人- がんじ)は「後付(尻取り歌)」を歌いながら太鼓を打っていました^_^ 布団太鼓で舁手が尻取歌を唱和することは一般的で、管見の限りで古い記録では、幕末の『皇都午睡』に難波博労稲荷(現・難波神社)の布団太鼓(布団神輿と記される)に触れ「近江に石山の秋の月、月に叢雲花に風〜云々」とございます。枠式太鼓台で打手が歌うのは初めての見聞でした^_^
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色々と勉強になりました!


8月1日は尼崎城下の貴布禰(きふね)神社の夏祭の宵宮に参りました。御園町の地車(だんじり)。明治期に寝屋川あたりでの新調されたもののようです(岩根さんの地車悉皆調査)。下部の平べったい武者彫刻は少しわかりづらいですが元々は欄干だったと思われます。岸和田は欄干が矮小化して犬勾欄に(犬は本物でないの意)。二段の欄干は地車が二階建て構造であることを示しています。二階建て構造は川御座船の特徴。ここにも和船の記憶がございます^_^

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西町の地車(だんじり)。明治期に堺の町で新調だそうです。小屋根下の三枚板正面は天岩戸でした^_^ 中々のインパクト!お兄さんが垂れていた手綱を取ってくれましたm(_ _)m
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辰巳町の太鼓台。太鼓台の本義は神輿の触太鼓ですので、太鼓台一台と地車複数台というパタンが多いです。四方に梵天を立て、日除け雨除けでしょうか上部に布が張られています。これは本式の屋根が付く直前の形態のように感じます。祇園祭の岩戸山は寛政年間に鉾車と同じような屋根が付きましたが、その直前は布製の幕で囃子方の日除けとしておりました。こちらの祭では、かつて船渡御があったようで、その際、船に地車を乗せたのか、船用の地車があったのか忘れましたが、神輿に付き従ったようです。
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尼崎城下の貴布禰(きふね)神社の夏祭。神戸方面もそうだったと思いますが、鉦ではなく鐘が使われます。鐘は完全に仏具で、鉦は仏教系の双盤か雅楽系の鉦鼓かわかりませんが、いずれにしても仏教色が強いです。地車囃子の鉦は祇園祭の鉦を採り入れたように思いますが確信はありません。泉州地域でも鐘を用いる地車がありました(今もあるかも)。音色は若干違いますが、それより奏法が全く異なってきます。元々どちらだったのか、選択の意味は何か…また考えてみます。旋律は天神囃子系です。鐘だと少し雰囲気が異なります。内側を鐘木で打っていました。鐘と鉦の両方を使っている町もございました^_^
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この日は野里と尼崎を言ったり来たりで大変でした。色々と勉強になりました!






7月28日は伊勢大神楽の岸和田場。この日は尾張でフィールドワークのため母が代理で民の謡(たみのうた)<篠笛文化研究社・岸和田店>でお祓いを受けましたm(_ _)m 写真は民の謡が間借させていただいている木彫刻・賢申堂と中町の地車(だんじり)です。
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7月28日は尾張は津島の天王祭の本宮。朝祭の準備中。一晩で巻藁船から車楽(ダンジリ)船に変身です^_^
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テンノウは牛頭天王(素盞嗚尊)の天王。疫病退散の夏祭。上層部には能に取材した衣装で着飾った藁人形。かつては毎年ネタが異なったハズ。愛知県の職員の方とは9時合流予定でしたが7時に現地到着。お稚児さんが乗り込み巨大な車楽(だんじり)船が水面を滑るように進みます^_^
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先頭の市江車と呼ばれるダンジリ船は川中で停泊。矛を採った若者たちが川に飛び込み御旅所まで水泳。上陸後、数百メートル先にある津島神社まで走ります。おそらく元々は全員揃って参っていたのが、誰かが走り始めて先陣争い的な流れになったのかもしれません^_^ 宵山の提灯の形、矛の行事、能の作り物、ダンジリ舞の奉納、そして、明日に斎行される神葭(みよし)神事(悪霊を葦に遷してカミ送り←おそらくこちらが祭の核)など、様々な時代の習俗や流行が重層的に折り重なっているように感じました^_^
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ダンジリ船は、かつてダンジリ舞を行なった稚児を乗せる船が神賑化して豪華絢爛に。ダンジリ舞の舞台であったから車楽(だんじり)船。ダンジリが芸能の名称であったことは、神社の式次第で「車楽(しゃらく)の奏上」とあることからも伺えます。現在はお稚児さんは座っているだけですが、かつては首に掛けた羯鼓をバチで打って舞を舞ったはずです。お稚児さんに付かず離れずの花台に羯鼓が掛けられております。花は何かの供物かと思いましたが、市江車の稚児のみ羯鼓を首から掛けて花飾りを頭に掲げています。他の町の稚児に従う羯鼓と花は、元々は稚児に付属していたもののようです。色々と勉強になりました。明日の「葦流し」も気になりますが秘儀のようですので、これにて退散^_^ 船なのに車なのは何故か?また考えます。
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7月27日は朝から名古屋に入りました^_^ 昨年は台風のため見物が叶わなかった尾張は津島の天王祭。今年も台風・・・
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津島天王祭の宵宮。台風のため断続的に雨が降っておりましたが、略式ながら巻藁船が出ました!3時間ひとり寂しく傘を差して待っておりました。二艘の小船に屋形を建てます。本来ですと何百個もの提灯で半球状に象って船上に掲げます^_^ 少しお能のを彷彿とさせる囃子(津島笛?)がスピーカーから流れる中(雨でなければ本楽かと)、天王川(現在は池)を渡って御旅所に安置されている神輿に拝礼。さすがに桟敷席は空っぽの状態でした…。こちらの巻藁船が明朝に装いを改めて車楽(だんじり)となるハズです。江戸期には地誌の類に「ダンジリの始まりは津島の天王祭か河内の誉田八幡祭か」と記されました。双方の共通点は羯鼓稚児舞の舞台であったことです^_^

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