篠笛草子 〜 ほのかに聞こゆるもいとをかし 〜

日本に古くから伝わる竹の横笛「篠笛(しのぶえ)」の随筆。篠笛奏者で篠笛文化研究社代表の森田玲が綴ります。
Essey about "Shinobue" transverse bamboo flute in Japan,by Shinobue player Akira Morita.

(株)篠笛文化研究社が運営するブログです。

カテゴリ: 祭と文化

岸和田だんじり篠笛の音の変化憂い、CD付き冊子で伝授
毎日新聞2016年9月15日

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だんじりが街中を駆け巡る「岸和田だんじり祭」が17、18日、大阪府岸和田市で開催される。勇壮な祭りを彩るのは、篠笛(しのぶえ)や太鼓が奏でる軽快な鳴り物だ。今年のだんじり祭を前に、篠笛奏者で、篠笛販売の会社「民(たみ)の謡(うた)」(同市五軒屋町)を営む森田玲さん(40)が、吹き方などをまとめたCD付き冊子「岸和田地車(だんじり)囃子(ばやし)・鳴物(なりもの)篠笛事始メ」を出版した。初心者がつまずきやすいところなどを丁寧に解説した篠笛の入門書。森田さんは「地域の文化、祭りを再考する契機にしてほしい」と話す。

     大阪府忠岡町出身の森田さんは幼い頃から毎年、母親の実家がある岸和田市内のだんじりを曳(ひ)いていた。篠笛や太鼓の音は体に染みついた森田さんだが、その音に違和感を覚えたのは大学4年の時。下宿先の京都市内から、久しぶりに岸和田に帰って来た時のことだった。篠笛の音が以前よりも響きを失い、旋律も短くなったように感じた。

     そのころの主流は細い篠笛。息を吹きこむ孔(あな)も小さく、簡単に音が出る一方、音が裏返りやすく低い音が出づらくなる難点もある。低い音を避け、高い音から始まる旋律のみを吹くため、旋律に多様性がなくなったと感じた。

     曳き手の呼吸を合わせるために吹くホイッスルが広まり、その音で篠笛の音が聞こえにくいことも気がかりだった。変わりつつある祭りの音。森田さんは大学をやめて楽器店を始め、篠笛の復活に乗り出した。

     約10年前からは、だんじりを担う地元の青年団や子どもたちを対象に篠笛を教え始めた。そこで感じた課題をもとに、篠笛への理解を深めてもらおうと冊子にまとめた。構え方や呼吸法をわかりやすく説明したイラストやCDも添え、子どもから大人まで活用できるよう心がけたという。「篠笛は太鼓の勢いに、みやびさや華やかさを添える存在。自在に吹けるようになる若者が増えて、今以上に魅力的な鳴り物になればうれしい」
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    2017年6月に店舗を移転しています(岸和田市本町7-19)
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    紹介動画


    通販
    篠笛文化研究社 
    http://www.taminouta.com/001-narimono-kotohajime.html 
    Amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4990373235/

    折に触れて自身の研究の羅針盤とさせて頂いている、秩父神社の宮司さまで京都大学名誉教授の薗田稔先生から、思いもかけず拙著『日本の祭と神賑』の書評を賜りました。とても丁寧に読み込んで頂いた上での書評であり、下記の書評をお読み頂ければ、拙著の内容と特徴を具体的に理解して頂けるかと存じますm(_ _)m

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    ーーーー<書評>ーーーー
    PDF→こちら

    森田玲著 『日本の祭と神賑(かみにぎわい)』(創元社)

    薗田稔 (京都大学名誉教授・秩父神社宮司)

    余談というわけではないが、旧臘十二月一日に日本の国指定重要無形文化財である三十三件の「山・鉾・屋台行事」が一括されて、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界無形文化遺産に登録されることになった。すでに登録済みの「日立風流物」と「京都祇園祭の山鉾行事」に加えて実に十八府県に亘る各地に伝承されている祭礼行事が、正式に世界の文化遺産に認証されたことになる。

    一昨年三月に文化庁がユネスコ登録を申請した内容を見ると、「地域社会の安泰や災厄防除を願い、地域の人々が一体となり執り行う『山・鉾・屋台』の巡行を中心とした祭礼行事」となっており、その提案要旨には、「祭に迎える神霊の依り代であり、迎えた神をにぎやかし慰撫する造形物である」山・鉾・屋台は、「伝統的な工芸技術により何世紀にもわたり維持され、地域の自然環境を損なわない材料の利用等の工夫や努力」により持続可能な方法で永く継承され、またその巡行のほか「祭礼に当たり披露される芸能や口承に向けて、地域の人々は年間を通じて準備や練習に取り組んで」いるので、これらの祭礼行事は、「各地域において世代を超えた多くの人々の間の対話と交流を促進し、コミュニティを結びつける重要な役割を果たしている。」と謳われている(平成二十七年三月五日付け文化庁報道発表から)。
     
    本書の書評を前にして直接関係のない時事的内容を紹介するのも、実は本書の内容が、正しくユネスコ登録が成った日本の祭礼行事の提案要旨を個別具体的に詳述している好著であることを、まずは指摘してみたかったからに他ならない。
     
    まず本書の副題に「京都・摂河泉(せっかせん)の祭具から読み解く祈りのかたち」とあるように、現代日本の祭の基本構造を神事と神賑行事から成ると見極めた上で、その神賑行事に登場する神輿・提灯・太鼓台・地車・唐獅子などの祭具を、おもに京都と大阪(摂津・河内・和泉)の各地の祭礼行事の実態に即して取材した成果を詳細に比較検討する手法で、それぞれの起源と歴史的展開を辿りつつ多彩に展開する祭の本質とその魅力を平明に描き出すことに成功している。ともかく本書は、京・大阪の各地に生きる多彩な祭礼行事に取材しながら、それぞれの神賑わいに登場する祭具の象徴分析を通して共有される祭の本質に迫ろうとする着実な論述として読者を惹き付けるものがあろう。

    本書の全体構成を紹介すると、まず「まえがき」に続く序章「図説・祭のかたちを読み解く」で豊富な絵図資料を掲載しながら、祭の基本構成と神輿や提灯など、本文各章でとりあげる内容を簡潔に紹介する。第一章「祭の構造」では、時代や地域を超えて共通する祭の基本概念を論じて、祭が「カミ迎え」「カミ祀り」「カミ送り」の三部から成り、また「神事」と「神賑行事」という二つの局面があることを指摘するが、これらは祭の先行研究からしても妥当である。第二章「神輿」では、カミの道行き、つまり一般に神幸祭に登場する神輿の発達史を述べて、特に現在の金飾りは神仏習合の産物だとの指摘は目新しいところ。第三章から第六章までは、「御迎え提灯」「太鼓台」「地車(だんじり)」「唐獅子」の順に、それぞれ豊富な図表と写真を用い多様で魅力的な祭具の世界を紹介しながら、それらが登場する各地の祭礼形態が地域の風土や歴史を反映して多彩だが、それでも互いにさまざまな共通点を見出すことができるとする立論は、着実な事例紹介にも説得力に富んで大いに評価できる。その一例を挙げれば、第三章の「御迎え提灯」では、祭に欠かせない提灯の源流はカミ迎えのための庭燎(にわび)だとの指摘は重要で、この点は、かつて日本民俗学の大成者、柳田國男が古典的名著『日本の祭』(一九四二刊)に、本来の祭では、宵宮に当たる夕べから朝までの間の一夜が大切な部分であって、庭に篝火を焚いて神を迎え、神をおもてなしする方式は、人が最上級の賓客を歓待するに類似だと喝破していることにも通じている。ただし惜しむらくは、なぜ提灯が「祭に欠かせないか」について著者は柳田のように、本来の祭にはカミ迎えに夜間こそが大事であったからこそという指摘に及んでいない点である。現代の祭が、とかく夜の霊性を見失っていることがその理由でもあろう。
     
    さて続く第七章「祭のフィールドワーク」では、著者がこの十年に亘って精力的に採訪した近畿地方一帯の多数の事例を、春夏秋冬の四季に応じた祭礼の類型に即して、しかも著者独自の視点を活かし、豊富なカラー写真や図版を配置して簡潔明瞭に紹介していて、読者も楽しく読み進むことができる。とりわけ祭研究を自認しながら近畿地方の事例に昏い評者には、本書の序章に先立って挿入されている関係社寺の所在地図を参照しながらの貴重な学習であったことを感謝したい。
     
    最終の第八章「祭は誰のものか」こそは、著者がここ十年来の祭を一途に探求するなかで最も本書で読者に訴えたかった「現在の祭が抱える課題」であり、その最たる事例に最近目立つ「祭の土日開催」を採り上げる。著者が彼の幼時から体験的に深く係わってきた岸和田だんじり祭が近年に「土日開催」となって、神事から神賑行事が引き離されたことに衝撃を受け、肝心のカミを忘れて単にヒトの賑わいばかりのイベントと堕してしまうことで、本来の祭が伝承する「人と自然との関わり、森・里・海の連環、カミとヒトとの関係」(あとがき)といった大切な役割を喪失してしまうのではないか、と当面の課題を提起している。
     
    この指摘こそが、本書が日本の祭の本質を衝いた、単なる祭の概説書ではない証しである

    『社叢学研究』第15号(社叢学会 2017.3)

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    『日本の祭と神賑~京都・摂河泉の祭具から読み解く祈りのかたち』

    民の謡 https://taminouta.stores.jp/items/55bf32c23cd4823af20006b8

    創元社 https://www.sogensha.co.jp/productlist/detail?id=1528

    アマゾン https://www.amazon.co.jp/dp/4422230352

    8月16日。今年も家族で「五山の送り火」に参りました。

    日頃「あっ!ここよう見えるやん!覚えとこ!」とベストポイントを見つけるのですが、当日になって正確な位置を忘れてしまい、確認しようとするも真っ暗で(点火は20時)毎年あたふたしてしまいます(笑)。

    今年は、鴨川の二条大橋の少し北側に・・・夜空に美しく大の文字が浮かび上がりました。
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    「大文字焼き」と呼ぶと現在の京都では違和感が持たれます。実際、山を焼いているではなく、大松明に点火して「大文字」「妙法」「船形」「左大文字」「鳥居形」を象ります。

    ちなみに江戸期には旧暦7月16日の日取りでした。旧暦の15日はほぼ望月で、翌日も夕刻の早いタイミングで東山から丸いお月様が登ります。そのため、かつては「大文字」と「満月」はセットで認識されていました。


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    <大文字山(東山如意ヶ嶽)の山の端に月が見えます(森田玲『日本の祭と神賑』より)>

    「新暦と旧暦の違い」は、日本の祭を考える上で大切な内容です。これについては、機会を改めて詳しく述べたいと思います。


    話を戻します。それでは、この「五山の送り火」の目的は何かご存じでしょうか?

    この行事は、その名の通り祖霊(精霊)を送るために行なわれます。

    よく知られている海や川での「精霊流し」と同じ意味合いの行事です。

    そして、「送り火」があれば「迎え火」もございます。
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    写真は昨年のもの。うちの玄関で「迎え火」を焚きました。
    桜が「誰かきた!」と言った時には、さすがにびっくりしました。

    古くは「送り火」も、このような各戸で行なっていたと思いますが、京都では、それが大々的になりました(私は「神賑化」と呼んでいます)。

    「お盆」(盂蘭盆会)というのは仏教用語ですので、「送り火」も仏教行事のような気がしますが、純度100%ではございません。

    日本教の仏教割りカクテルと言ったところでしょうか・・・

    オリジナルの仏教は「輪廻」から逃れるために「解脱」することが目的で、そのために様々な修行が行なわれます。輪廻転生の概念では、亡くなった人は何かに生まれ変わっているわけですから、祖霊の存在を認めていないことになります。

    日本のお盆には、仏教伝来以前の宗教観が反映されています。

    すなわち「カミ迎え」「カミ祀り」「カミ送り」の三部構造です。

    このような三部構成は日本の様々な行事でみることができます。

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    (森田玲『日本の祭と神賑』より)

    日本におけるカミは「畏れ多いものすべて」を指します。つまり、ここではご先祖様の魂もカミと解されます。

    何らかの方法でカミ(祖霊)をお迎えし、供物と読経を奉ります、そして何らかの方法でカミをお送りします。

    盆踊りと言えば「盆踊り」。これは、生きている人々と祖霊が交歓する行事であることが多く、その場合は「カミ祀り」に含まれます。

    話が少し込み入ってきました・・・

    カミ様をお迎えするために、一般的に用いられるものが「火」です。これはお盆に特有のものではなく、神社の祭でも一般的で、御神灯と同じ役割です。


    京都では「迎え鐘」と「送り鐘」もよく知られます。

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    私は毎年、六波羅にある六道珍皇寺の「迎え鐘」に参っています。こちらには閻魔様の像がございます。閻魔様に仕えた平安時代初期の小野篁(おののたかむら)は、境内にある井戸から冥界に通ったとされています。

    昨年まで、閻魔さんにビビっていた桜ですが、今年は「ちょっと待ってて!ひとりでお参りするから!」と・・・成長にびっくりです。

    「送り鐘」は、寺町三条にある「矢田寺」が有名です。

    こちらは「カミ迎え」と「カミ送り」に「火」ではなく仏教的?な「鐘」を用いています。

    なくなった人の祀り方は国や地域によって様々です。日本ではご先祖様のお祀りは仏教(日本化された)にお任せされていますが、その根本には仏教伝来以来の宗教観が脈々と受け継がれているように感じます。

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