篠笛草子 〜 ほのかに聞こゆるもいとをかし 〜

日本に古くから伝わる竹の横笛「篠笛(しのぶえ)」の随筆。篠笛奏者で篠笛文化研究社代表の森田玲が綴ります。
Essey about "Shinobue" transverse bamboo flute in Japan,by Shinobue player Akira Morita.

(株)篠笛文化研究社が運営するブログです。

カテゴリ: 日本の祭(神事と神賑行事)と文化

11月27日、登呂遺跡に参りました。目的はこちら…コト。綺麗なのは複製品です。
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雅楽の中でも日本古来の歌舞音曲である御神楽(みかぐら)や東遊(あずまあそび)などで奏される和琴のプロトタイプのようなコトです。アイヌのトンコリとも関連が指摘されているらしいです。
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同様の楽器を弾く埴輪もたくさん出土しています。赤い漆が塗られていたものもあって、祭の祭具だったのかもしれません。記紀神話などにも見られるように、コトはカミ迎え・カミ下ろしの場面で登場したり(仲哀天皇・神功皇后)、血統の象徴のような描写もございます(素盞嗚尊・スセリ姫・大国主命)。五絃か六絃だとは思いますが、絃の材質は何なのか?登呂遺跡は弥生後期の遺跡とのことですが、養蚕の技術は伝わっていたのか?麻で作ったのか?(鳴るの?)、絹の絃は他所から得たのか?ようわかりませんが…登呂遺跡のコト、割と念願のだったので良かったです^_^ 正倉院以前の横笛出土して欲しい。横笛を吹く埴輪も!


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火鑽(ひきり)を体験してきました。神社の神事では火を使う際(神饌、粥占など)、神事ごとに新しい清浄な火を用います。神道で火が出てくると多くはカミ迎えの場面が多いのですが、仏教では火は奉るもの、カミ祀りの場面で用いられることが多いかもしれません。法灯を絶やさず。古い方が良さそうです。

いずれにしても、マッチやライターで簡単に点火するのでは気持ちがこもらずということでしょう、現在でも火鑽を行う祭は少なくありません。一昔前までは、日常生活では、人力で火をおこしていたはずですので、祭の中に歴史文化が保存されていることになります。

(スギ板+ヒバ棒〈ヒノキ〉)×摩擦 → 種火(スギ粉〉
→ アサ × 息 = 炎

僕は写真の弓ではなく、より簡単な方法でトライ。腕が動かないくらい痛くなりました…

祭は文化のタイムカプセルです^_^

本日、浜松にてカミなきマツリを知る。カミはなくとも「祈り」はあった。ムラのマツリではなくイエのマツリ(祈り)が賑わい化し、神社の祭と同じように共同体の活力を更新している。「浜松まつり」。カミは存在しないが、明らかにイベントではなく祭の匂いがする。マツリにとってカミの存在は絶対条件ではないのか?
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マツリのために共同体があるのではなく、共同体のためにマツリがある。祭は共同体維持のための「民俗知」。とすれば、一般的な神社を主催とする祭(神事+神賑行事)でなくても代替のものがあれば十分であることも想定される。
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「浜松まつり」。「凧上げ」と「御殿屋台」は「神賑行事」に相当する。「神事」に相当する「何か」が必ずあるはずである。ちょっと本気で調べてみたい。突撃ラッパ?の音が耳から離れません^_^


そう言えば、以前「浜松まつり」を熱く語っていた男勝りのチャーミングな女性が北野天満宮界隈に居たような…

地車と太鼓台を含めた「ダンジリ・祭・シンポジウム」実現しませんか?

大阪万博2025の開催が決定しました。その是非について議論は色々あると思いますが、開催は決定ですので、それをいかに良い形に持って行くかに思考をシフトさせねばなりません。

オリンピックや万博といった大きな催しでは、祭の芸能が披露されることが少なくありません。

大阪を代表する祭文化といえば、地車(だんじり)と太鼓台。おそらく、今回の大阪万博決定の瞬間に、地車や太鼓台を集結させてドンと花火を打ち上げよう!と考えた、祭関係者、政治家の方々がいるかと思います。

僕は、実際の祭以外のイベントで、祭の芸能がポンポンと披露されることに対して、いかがなものかと思うこともある反面、このような機会にあっては、地域の祭文化を国内外にPRする絶好のチャンスですし、それが地域のアイデンティの強化につながり、大きな喜びとなるならば、それはぞれで良いのではと思っています。

どうせ地車(だんじり)を出すなら(どこに集結するかはさておき、おそらく実現してしまうような気がします)、単に集まって騒ぐのではなく、その前後でシンポジウムなども催して、地車や太鼓台、あるいは祭が担う社会的な意義を確認し、また、地車や太鼓台のルーツと水都・大阪を強く結び付けることができないかと思っています。

地車は、江戸時代、西国大名や幕府が所有していた豪華絢爛の川御座船がルーツ。参勤交代や朝鮮通信使、琉球使節の大阪〜伏見・淀間の淀川における送迎に用いられました。川御座船から船胴部分を取り除けば地車となります。大坂の天神祭が発祥で、その後、瀬戸内を中心に各地に伝播し、遠くは大分の中津まで伝播しております。

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今では失われた和船文化が祭の中に息づいております。国際色豊かな来歴も見逃せません。なにわの海の時空間の浪華丸とも絡ませることができるのではないでしょうか?

また太鼓台は、神輿の先導、祭の始まりを知らせる触れ太鼓がルーツで、天神祭や生玉祭の枠式太鼓台を嚆矢として、各地に伝播、様々な屋根の形式が生まれました。遠くは長崎の諏訪神社の祭、長崎くんち、にまで伝播しています。

地車のルーツが川御座船であること、そして、太鼓台のルーツが神輿を先導する触れ太鼓であることは、拙著『日本の祭と神賑』創元社の中で、文献と現在の地車に残る有形無形の痕跡によって証明しております。

地車の始まりは大阪城築城時の石垣を運ぶ修羅で、地車囃子はその時の囃子が起源、とった間違いや、岸和田祭の始まりは五穀豊穣の稲荷祭といった間違い、これれは昭和40年代に広がった巷説です。このような誤った情報がこれ以上拡散しないことを願いつつ・・・

以下補足

地車のモノとしてのルーツは川御座船ですが、コトとしての役割は、その舞台上で様々な芸能を披露すること。江戸時代に楽車と記されることもありましたが。楽=歌舞音曲。河内ニワカや龍踊り等。

太鼓台(ふとん太鼓)をダンジリと呼ぶ地域があります。これは、ダンジリの語原が稚児舞にあることから理解することができます。太鼓台の多くは無邪気な子供たちが乗り込みます。祇園祭では「だんじり舞」がなされておりました。

地車と太鼓台を含めた「ダンジリ・祭・シンポジウム」実現しませんか?

<追記>
大阪万博2025誘致PR動画を見ました。 何やねん!この祇園祭の曳鉾もどきの謎の曳車は!何でBGMが津軽三味線やねんΣ(゚д゚lll)行政はド・大阪の文化ではPR力が弱い、と考えているのでしょう。いや、逆に大阪色を薄めたいという風に感じられます。各方面に対して失礼きわまりない内容。こんなことでは、予算云々以前にそっぽを向く人たちが出てきてしまいます。このままでは、間違った大阪の文化が広まること必至!万博までに「ダンジリ・祭・シンポジウム」を重ねないといけません。
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11月24日の夜はレンタカーで山国郷へ!耳学問ですが…平安京の大内裏の造営の木材、大嘗祭の悠紀殿・主基殿の御用材の供給地だったかと思います。桂川を通して京都と深く繋がっております^_^
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小学校の体育館で、山国隊の皆さんの練習を見学させていただきました!小学生と中学生の男の子が中心の山国隊。今年が初舞台の子供たちも多かったようですが、しっかりと格好良く演奏されていました^_^

山国郷の皆さんは官軍として戊辰戦争に参加、その際に習得した西洋式の軍楽マーチが地域のアイデンティティとして現在まで受け継がれており、慰霊祭と秋祭で、賑やかな「戊辰行進曲」と「礼式」と呼ばれる厳かな音曲が演奏されます。

平安神宮の時代祭の維新勤皇隊も山国隊がルーツです。

日本の洋楽事始めは軍楽。明治維新150年の今年は、山国隊は地元の祭以外で引っ張りだこ!明日は二条城界隈でマーチングがございます。

写真は篠笛とスネアドラム、バスドラムという珍しいショットです^_^
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山国神社にもお参りいたしましたm(_ _)m お月様が綺麗でした。

11月24日の午前中は、社叢学会の関西定例研究会のため伏見稲荷大社へ参りました。櫻井治男先生の講演(社叢学会理事・皇學館大学大学院教授)。テーマは「明治末期の神社合祀と神社境内の整備~地域住民は合祀をどのように受け止めてきたか~ 」。
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櫻井先生は先日、南方熊楠賞を受賞されております。
http://www.minakata.org/kumagusuminakataprize/28thwinner/

祭の神事や神賑の変遷を考える上で、何より、神社や祭の持つ社会的な役割を考える上で、明治期の神社合祀のインパクトの把握はとても大切です。

僕自身、功罪含めた幾つかの事例を知っていますが、今なお、合祀後の神社跡が重要な意味を持っていることや、合祀前の村単位での芸能が息づく意味を確認することができました。ちょっとバタバタの日々が続いておりますが、参って良かったです。

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